就活・新人時代はこう乗り越えた!悩める就活生新入生へエール!
社会人になって12年、もはやベテランの域に達している武者小路カオリです。
またまた、ヘッドハントのお話が舞い込んできています。今回は、給料も待遇も今より上げますと初回電話の時に言ってくれているので、かなり期待が膨らんでいます。
今の会社も素晴らしいし、今回ヘッドハントで声をかけてくれている会社も有名で伸びに伸びているところなので迷いますね。
自分にチョイスがあるってことその物が素晴らしいな、と常日ごろ感じています。
今なら、私の12年で培った社会人経験、母親としてのタイムマネジメント能力の高さを武器に自分を大いに売り出すことが出来るという自信に満ち溢れています。
そんな自信満々の武者小路カオリですが、就活生時代は、受けるところ全てが不採用。最終採ってくれた今の会社に入れたわけです(因みに今の会社は、憧れる人が多い有名外資企業)。
自分のスキルもわかっていなくて、会社を選んでる場合ではない時代(私にとってであり他の人は引く手数多な人もいた)でした。
更には新入社員時代はどんなにいけていなかったのでしょうか(笑)
是非、
- 現在就活真っ最中で頑張っている人、
- 4月から新入社員の人
のためになればいいなと思い書きます。
就活時代
1. 自己分析が難しかった
私が某外資系航空会社のキャビンクルーの試験に臨んだ時の話です。面接は5人1グループの集団面接でした。面接官もウンザリするであろう数の受験者の長蛇の列。
今の私なら飽き飽きし始めた面接官を楽しませる様な受け答えに徹しようとしますが、当時の私はまだまだ子供。そんなサービス精神など湧くわけもなく、必死に周りの人達と同じような答え方をしてしまいました。
面接官:この業界を志願するにあたってどんな風に研究しましたか?
私:エアステージなどのキャビンクルー雑誌を熟読しました!!
面接官:…
こんなに面白くない答え方を大学生だった武者小路はしてしまったんですよ。まぁ、失敗は成功の元ではあります。だってこうやって失敗談を書いて、お役に立てるのですから!
この時の私の本当にしていた研究は、
出来る限り色々な航空会社に乗ってみること。
でした。確かに、当時オーストラリアにワーホリしていてたまに帰国する際、
マレーシア航空、大韓航空、シンガポール航空、日本航空など色々試していました。なので、この場合、お手本回答を書いてみると、
オーストラリアでの滞在時に一時的な帰国が数回ございまして、その機会を利用しその都度まだ乗った事のない航空会社を予約し実体験する事で他社比較し航空業界の研究をしていました。
2. 髪型や服装の研究が浅かった
社会人になってようやく見た目の大切さ、重要度に気付かされたので、仕方がないと言えば仕方がないですかね。頑張っていた方だとは思いますが、もう少し出来たはず!と今は思います。
オシャレや写真館で撮影するお金がないなら、親にお願いするとか、もう少し出来たのかな、と思います。こう言った、親にお金をお願いする交渉術なども社会人になって身に付いた事です。
お母さん、私外資系の〇〇航空のキャビンクルーになって世界を飛び回りたいねん。キャビンクルーの受験には華やかさが必要で、試験に呼ばれる為に履歴書をかんぺきにしないとあかんくて、写真館で撮ったプロ仕様の写真が通りやすいねん。
キャビンクルーになった暁には一緒に世界中飛び回ろうさ!
だからさ、応援してよ。〇〇円お願い!
3. 履歴書の内容が浅かった
上記の内容にもありましたが、履歴書が第1関門ですね。ここが通らないと面接官にも会えません。
“この子面白いな!” “会いたいな!”と思わせる内容と見た目に仕上げなくてはいけませんね。
私にとっての履歴書は宿題みたいな印象でかなり面倒臭い物でした。
最悪な時は、一つの質問を空欄にして出した事もありました。(もちろん通りませんでした)
そんな怠け者は、要らないと思われて終わりますね。
履歴書には、熱意が伝わるように書きましょう!
新入社員時代
結果私はキャビンクルーはしておらず、某外資系企業の日本支社に入社出来ました。
配属先は、営業部です。結構有名なので調子に乗っている時代が到来しました。
1. イケてない先輩の真似をしていた
学生時代厳しい接客業のバイトをしていて、話し方など社会人程まではできないにしてもある程度失礼の無い様には話せていました。
電話を取る際も、
“ありがとうございます!〇〇会社 営業一課でございます!”
までしっかり言えていたのに、周りの先輩達はもう慣れ過ぎていて、
“はい、〇〇でーす”
と電話に出ていました。そんな人ばかりだと、一人だけ丁寧過ぎるのかと、私なりの考えに至り、次第に私も、
“はい、〇〇でーす” と電話を取る様になっていったのでした。
これは、絶対だめー!!
せっかく丁寧に受けていたのに、かなり勿体無かったですね。私。自分を強く持たないとだめです。特に外資系企業に新卒で入ると、自分でしか物の良し悪しを判断できません。
因みに日系企業だと、OJTがしっかりしていてお手本になる先輩が多いと聞きます。
2. 関西弁が抜けなかった
京都人の武者小路カオリはもちろんのこと京都弁を話すわけですが、就職先は東京でして結構関西イントネーションは関東では浮いてしまうのですよ。
京都人の武者小路は、かなり上司に色々と言われました。
- 関西弁は馴れ馴れしく聞こえる
- あのね、じゃねーだろ!
- 〜しはる、は尊敬語じゃねーよ!
などなど(笑)
今思えば、全く上司が言う通りですね。当時の私には反発の心しかなかった事も鮮明に覚えています。
それを注意された帰り道、PLAZAに立ち寄り無駄に可愛いキッチングッズとか沢山購入してストレス発散させていました。
まだまだ子供だったなぁ(笑)
上司や先輩は、だてに長く仕事していません。だから、社内文化などにはだいたいは馴染んだ方が働きやすいです。
ある程度文化に馴染めて仕事も覚え出してから、自分色の何かを築いて行けば良いと思います。
3. 何とか食らいついた
当時23歳だった武者小路カオリの周りの先輩は、だいたいアラフォーかそれ以上の人々だったので私は彼らからしたら新人類と見られていました。
言動が全くの異文化だった為に、排除されそうな雰囲気も若干感じ取ったりもしていました。
そんな時は、何故私が排除されかけているのか、何が悪かったかを思い返してみました。
謙虚さなど、忘れていた事に気がつきました。気がつけたら“こっちのもん”です。
こんな感じで、若気の至り的な所がやや見受けられますが、そんなところは先輩や上司がお尻ぺんぺんしてくれます。
私も結構お尻ぺんぺんされて、成長させてもらいました。
最終的に、そんなお尻ぺんぺんしてくれた先輩よりも先に結婚し子供も生みました。先輩はまだ独身で私とは違う人生を歩んでいたりします。
最初は、いろいろ怒られたり注意されたり褒められたり、しますが数年経てば横に並ぶ、もしくは追い越して行きます。
採用する会社にとって、あなたはラッキーなダイアモンドの原石だったかもしれないし、だたの石だったかもしれない。それは、入社後にどれだけやる気を見せるかで二極化してきます。
流れに乗ってなんとなーく働いているだけにするか、短期・中期・長期で考えながらメリハリつけて働くか、決めるのはあなたです。